座禅と声楽

 健太です。

 座禅と声楽には共通点があります。両者は全く無関係ですが、似ているところがあるのです。

 座禅に関し、こういう話があります(厳密には「座禅」ではなく、その先祖である「呼吸瞑想」ですが、想像しにくいので以下座禅と表記します)。

 ブッダの弟子に、アーナンダという人がいました。アーナンダはあるとき、ブッダの高弟の中で最高の悟りに達していないのは自分だけだということを知りました。焦ったアーナンダは今夜中に何が何でも悟ってやると思い、悟るまで動くまいと固く心に決めて座禅を始めました。しかし何時間頑張っても最高の悟りには至らず疲労困憊し、ついに諦めて寝床に倒れ込みました。すると驚いたことに、後頭部が枕に触れた瞬間、アーナンダは最高の悟りに達したのです。

 声楽でもこれと同じようなことが起こります。以下は私の例です。

 私は昔、声楽の声というものは常人には想像もつかない、異次元のような良い声でなければならないと思っていました。そういう声を求めて練習しましたが、得られず伸び悩み、苦しむ毎日でした。しかしあるときふと、「そんなに無理矢理良い声を出さなくてもいいのではないか?」と思いました。「軽く歌っても程々に良い声は出るのではないか?」と思いました。そして試しに軽く歌ってみた声を録音して聞いてみたら、これで十分良い声だと思えたのです。以後変な無理をして歌うのをやめたのですが、その方が周囲からの評価は上がりました。

 これが座禅と声楽の共通点です。無理矢理にでも手に入れてやるという思いを手放したとき、手に入ります。もっとも私の場合は最高に良い声になれた訳ではなく、程々の声ですが、それでも大きく前進できたのは事実です。わたしはこの体験を「小さな悟り」と呼んでいます。

 ただ、それなら上達するには何も努力も練習もしない方がいいのかと言うと、それは断じて違います。ここが難しいところですね。